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上機嫌でいこう。

本とか、音楽とか。本は新書を読むことが多く、音楽はクラシックやサウンドトラックを中心に。映画やDVDも好きで見ています。

いじめって・・・

おはようございます。

今日は、いささか「暴論」となる予定です。あまり突っ込まないでくださいね。テーマは「いじめ」です。

 

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いじめは、あたかも子ども社会固有の問題ででもあるような報じられ方がされていますが、最近の「バッシング」や「メディアスクラム」なども、一種のいじめだろうと思います。その意味で、この国と社会は「いじめ社会」であると言ってもよさそうです。

私自身が幼かった頃(大昔のことです)はどうだったか。実のところ、いじめもしたし、いじめられもした。しかし、それを「若気の至り」とか、「いい思い出」とするつもりは全くありません。「昔も多少いじめたり、いじめられたりしてたが、もっとおおらかだった。今のいじめは陰湿だ」「いじめられて打たれ強くなった」などとはちっとも思わない。私をいじめてた奴のことは、今もって許せないですし、私もまた加害者であったことについては、思い起こしたくもない苦い思い出です。また、他の友人がいじめられているのを黙殺してもいました。本当に申し訳ないことです。つまり、「いじめ」はこの社会では恒常的にあって、最近の社会現象などでは全くないのです。

とはいえ、子ども特有の「残酷さ」というものもまたあって、それは例えばアリの列を踏み潰したり、水で流してしまったりということとも通じているような気がしています。この「残酷さ」はやがて解消もするのですが、それは他に面白いことを見つけるからだろうと思うのです。

ここから一足飛びで現今のいじめを論ずるつもりはないのですが、いじめている当人としては、悪気はないだろうと思うのです。それは、その当人たちが「面白い」と思って、「楽しんで」いるからなんだろうと思います。なんてつまらない「楽しみ」であるのか。

だとすると、有効な対処方法も考えられると思うのです。それは、他人をいじめるよりかは、もっとおもしろいことがあるということを教育し、当人たちが学習することだと思います。

さしあたって、それがどんなことなのかはわかりません。ただ、他人に中に自分と同じ尊厳を見出し、つながってくことは「楽しい」ことだと思っているので、何らかの方法でそれを伝えられればと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。