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上機嫌でいこう。

本とか、音楽とか。本は新書を読むことが多く、音楽はクラシックやサウンドトラックを中心に。映画やDVDも好きで見ています。

和田秀樹さんの死刑肯定論に思う

読書 暴論・耕論

こんばんは

こんばんは。昨日10/23(日)は出かけていました。それで神経が高ぶっているためなのか、眠れずにいます。こんなこと(=ブログを書く)をしていたら、なおさら眠れないのですがw

これを読んでみた

10/21(金)に、次の本を読了いたしました。 

 

岸見一郎さんの『嫌われる勇気』などで一躍脚光を浴びたアドラー心理学と、フロイトのそれとの比較検討を中心として、心理療法全般についての流れを追った本です。しかしながら、私は気になったところがありました。今回はそのことについて書いてみようと思います。

和田さんの死刑肯定論

それは、和田さんがはっきりと「死刑」を肯定している点です。それも、かなり積極的に。例えば、こんな具合です。それは、「第5章 心理学は今、どこまで人の心を癒せるようになったか」においてです。

 

また、パーソナリティ障害の中には、残念ながら原則的に治療不可能と考えられているものもあります。それは「反社会的パーソナリティ障害」です。(略)放っておけば、誰でも被害者になる恐れがあります。

そこで頼りになるのは、法律しかありません。(略)

そして、実はすでに(少なくとも日本の場合は)法律上のストッパーが存在します。それは、死刑制度にほかなりません。(154~155ページ)

 

つまり、極刑の存在が凶悪犯罪を抑止しているということを言っているわけです。私はそこに少なくとも2種類の違和感を感じました。それは

・この本のこの文脈で、死刑肯定論を持ち出すのはどうなのか?

ということと、

・そもそも死刑は是なのか否なのか?

ということです。

ここで「死刑肯定論」て、どうなの?

この本のタイトルは、「フロイトアドラーの心理学」で、帯には「『無意識』『コンプレックス』・・・なんてもはや時代遅れ?」と書かれています。これはまあ、編集がつけた扇情的なもの言いだろうとは思います。

しかし、この本の中では、かなり明確に死刑の肯定をされています。まるでこの本の全体が、死刑肯定論を導くために書かれているかのようなインパクトなのです。

もっとも、タイトル「以外」のところで紙幅が多く割かれているので(これはタイトルのつけ方が甘かったとしか言いようがない)、そこをあげつらってもどうかとは思いますが。

ただ、この部分が一際、異様なまでに「目立つ」のです。それは、私が原則死刑廃止であるべきと考えているから「だけ」なのかもしれません。

ですので、ここの部分はなくても本は成立するし、むしろアドラーの「先見性」と、それでもなおしぶとく生き残るフロイトの理論と方法、影響力などについて、もっと書かれるべきだったと思うのです。

そんなことを感じて、本を閉じました。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。