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上機嫌でいこう。

本とか、音楽とか。本は新書を読むことが多く、音楽はクラシックやサウンドトラックを中心に。映画やDVDも好きで見ています。

「アーカイブ」という思想

◆日本語になりにくい横文字というのがある。それは、概念を示す言葉であることが多い。その言葉が日本に入ってくるまでは、それが指し示し、表現している内容が日本にはなかったということである。

◆例えば、「ラブ」。今でこそ、「愛」という漢字をあてているが、このように定着させる努力が払われた明治期までは、英語の「ラブ」が指し示している内容に対応する日本語はなかったという。

◆最近は、新しい言葉や概念が入ってくるスピードが速まっているので、日本語に置き換えるよりは、原語のままで使っていることが多いように見受けられる。

◆それは、一方では日本語が「咀嚼力」を失いつつあることも指摘されていいと考える。問題なのは、原語のままで定着してしまう語が示している「観念」や、それの背景にある「思想」そのものが、元々日本にはなかったことが忘れ去られてしまうことだ。

◆そのような言葉の一例として、「アーカイブ」について考えてみたい。「アーカイブ」は、Wikipediaでは次のように書かれている。

アーカイブ (archive) とは、重要記録を保存・活用し、未来に伝達することをいう。日本では一般的に書庫や保存記録と訳されることが多いが、元来は公記録保管所、または公文書の保存所、履歴などを意味し、記録を保存しておく場所である

◆既存の日本語に当てはめると、「保存・保管」ということになるのだろうが、それでは後世にアクセスされるべきものとして「保管」するという一面が欠落してしまうのではないだろうか。

◆ところで、日本の映画のDVDを見ていて驚くのは、1980年代の作品であっても、既に「古い作品なので、画面にキズがある」というような言い訳が予めされていることである。

◆その一方で、ハリウッド映画などは、50年を経ても鮮明な画質で鑑賞できるものが多い。これは、単に保存状態がいいというよりは、「保存」にあたっての「思想」が決定的に違うからなのではないかと私は考える。

◆その保存状態のよさは、後世にアクセスされることを想定して、できるだけよい環境で保存しようという思想に支えられていると思うのだ。

◆重要なのは、「後世のため」「誰がアクセスしてもいいように」という点であろう。日本の場合、こうした点が著しく欠けているように思われる。

◆これは、とどのつまり、「歴史」に対する彼我の感覚の違いなのだろうと考える。

◆正否の判断の材料を集め、保存し、アクセス可能な状態にしておくということは、後世のよりよき「知恵」を信頼しているということだろう。いや、ことの順序は逆であって、後世を信頼しているからこそ、歴史の「材料」と「判断」を後世に委ねているのではないのか。

◆一方で、日本にはこうした発想はない、もしくは乏しい。

◆水に流すとか、喉元過ぎれば熱さを忘れるとかいうように、反省する契機を後世に残そうという動機づけが乏しい。日本と日本人が、「歴史オンチ」である由縁ではなかろうか。

◆このように、「アーカイブ」に相当する精神の働きがないことが、適切な日本語を対置できてない理由なのだと思う。

◆繰り返すが、原語のままで定着してしまう言葉というものが示した観念や思想は、の本語の語彙では表現しきれないというものだ。それは、そうした観念や思想自体が日本にはなかったということなのだ。

◆カタカナ日本語を子細に検討することで、日本語が表現し得ていない観念の所在が明らかになるものと、私は考える。

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